伝統からモダンまで品質とデザインで選ぶなら畳縁は高田織物株式会社

畳縁の街

倉敷市児島の歴史は古く、712年に完成した日本最古の歴史書『古事記』の「国生み神話」によれば、 「吉備の児島」は日本で9番目の島として誕生した。

「吉備の児島」は瀬戸内海のほぼ中央に位置し、当時から交通上の重要拠点であったと思われる。

江戸時代初期の1618年頃に、高梁川からの土砂で、吉備の児島は本州と陸続きとなった。

この頃、相次ぐ干拓と新田開発により、倉敷周辺の開発が進んだ。

干拓地には塩分に強い綿が栽培され、児島は繊維のまちとして発展をとげた。

白壁

白壁の街、倉敷市

瀬戸内海

瀬戸内海国立公園は、昭和9年に日本で最初の国立公園に指定された。
瀬戸内海国立公園随一の景勝地鷲羽山は、国の名勝にも指定され、石器時代の遺跡としても有名

旧野崎家住宅

旧野崎家住宅
塩田王と呼ばれた野崎武左衛門の邸宅

 
時代を超えて織りにこだわる
作業イメージ

現在の畳縁は、ポリエチレン糸、ポリプロピレン糸、ポリエステル糸、艶付け綿糸を組み合せて使用した世界に類の無い貴重な織物である。

その畳縁を製造している高田織物の歴史は、1900年頃までさかのぼる。

真田帯の織物業で創業したのが始まりと伝えられ、織りにこだわる精神もここから始まっている。

1921年、松井武平氏が光輝縁(艶付け綿糸を使用した無地縁)の製法を児島唐琴地区に取り入れ、その頃、高田織物も光輝縁の製造を始めた。

1962年、高田織物は、ジャガード織機で綿の無地にポリエチレン糸で柄出しをした紋縁の製造に成功し、「大宮縁」と名前を付け、全国に販売を開始した。

その後、畳縁は無地縁から紋縁へと大きく変わり、同時に素材も綿から合成繊維へと大きく変わった。

1965年、縦糸二重織の「大宮縁」をグレードアップさせ、高級感溢れる「新大宮縁」を生み出した。この畳縁は、現在も使用されている。

1971年、自社でシャトル織機をニードル織機に改造することに成功した。

現在は、電子ジャガード搭載高速ニードル織機を導入し、畳縁を製造している。

機械

織機は新しくなったが、織りにこだわる精神は受け継がれ、伝統を守りながらも、新しい畳縁を生み出している。

現在は、日本のシェア35%以上をもつ畳縁のトップメーカーである。

ISO9001、ISO14001認証を取得、更なる織りへのこだわりを追求し続けている。

織り